路上日記 SEASON IV

KAWASAKI NINJA1000とE250 STATION WAGONで過ごす週末をおやじが綴る日記です。 過ぎ去って行く季節に打ち寄せる月日に、そして愛すべき戦士と僧侶と画家たちにこの物語を捧げます。

カテゴリ:坂のある街

京王線の新宿駅 -笹塚駅の間は、京王新線建設(京王線の複々線化)と同時に、連続立体交差事業が進められて、1978年に地下及び高架の区間に生まれ変わった。幡ヶ谷駅を過ぎて笹塚駅に向かう時に、京王線も京王新線も地下から地上に出て一気に高架に駆け上がる。因みにこの区 ...

東京には武蔵野台地の東端の舌状台地が拡がっているので、高台と谷地が幾つも連なって街に色々な表情を与えている。大阪は水路のある平たい街だが、東京は坂のある凸凹の街だ。坂のある風景が面白くて、一時期集中的に都内のあっちやこっちへ自転車で出掛けた。本郷台地、目 ...

赤坂・麻布台地の東南端を離れて、芝・白金台地の根元に向かう。二つの舌状台地の谷間には、明治通りと山手線が通っている。Part 5 芝・白金台地の根元山手線を越えて恵比寿1丁目の五差路に出る。渋谷区は本当に五差路が多い。五差路から恵比寿公園に向かって上がる道に入る ...

昨年の前半に集中豪雨的に都内の主要な台地を電チャリで回った。本郷台地、目白台地、上野台地、小石川台地、牛込台地、四谷・麹町台地、赤坂・麻布台地、芝・白金台地の崖線を辿る為に、坂を上ったり下ったりし、崖線の上や下を走り回った。まだ行き残した場所はあるのだけ ...

牛込台地の東南端の崖線をポタリングする為に、以前大久保通りを、山手通りの宮下交差点から飯田橋手前の津久戸町交差点まで移動した。移動している間に大久保通りの両側の景色を散々眺めた。それまでに持っていた大久保通りへの先入観は瞬く間に消えた。僕が持っていた先入 ...

千川通りを南下した後、白山通りに入る。続いて西片交差点で言問通りに入り少しだけ進む。本郷台地の崖線下に辿り着いた。石坂(長さ80m、高低差9m)明治以降東京大学が近かった為、夏目漱石,佐々木信綱,和辻哲郎、田口卯吉,坪井正五郎,木下杢太郎,上田敏等、多くの学 ...

網干坂を上がって、白山台地中央の背骨部分に到着した。ここから南北方向の道はとても平坦だ。右手に小石川植物園の森を見ながら住宅街の中を南下する。やがて小石川白山教会の前に出た。教会の横は東洋大学付属京北中高だ。校門前を南西に進めば、御殿坂(長さ200m、高低差 ...

音羽通りの東側に戻る。目白通りが音羽通りにぶつかるT字路の東側に、今宮神社がある。江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の母桂昌院の発願により、京都の今宮神社より分霊を勧請して創建された。元々は護国寺境内に位置していたが、明治の神仏分離により現在地に遷座した。 今宮神 ...

今回のテーマは小日向台地以東の舌状台地の崖線なのだけれど、音羽通りに戻った時に、通りの西側の目白台地が気になる。目白台地の崖線を以前辿った時に、途中で疲れが出て東端部分の坂巡りがなおざりになった。北から順に、三丁目坂、鉄砲坂、鳥尾坂、七丁目坂、目白新坂、 ...

小日向台地の南東端に来てしまったので、今後は東側の崖線沿いを北上する。崖線下に道がありそうなのだが、一度春日通りまで出て位置関係を確認した。春日通りは小日向台地と小石川台地を分けてはいるが、春日通り自体は小石川台地の崖線の上にある。小日向台地の根方はもう ...

目白台地と本郷台地の間に幾つもの小さな台地がある。忘れていたとは言いたくない。動いている間に次のものが見えて来ただけの気がする。最初は武蔵野台地東端の舌状台地という言葉だけがあった。具体的に崖線巡りをしている間に、四谷・麹町台地や赤坂・麻布台地、目白台地 ...

日射しが強くなって来た。かなり汗をかいた。夏になったらこんな風なポタリングも出来なくなるなと思う。坂巡りに集中していたので、お昼を食べる店を下調べしていない。不動通り沿いにある中華料理店ののれんに惹かれてふらっと入店した。ワンタンメンを注文した。雲呑はい ...

国道17号線(新大宮バイパス)の東側に移動したかったのだけれど、赤塚公園の東側辺りの国道17号線(新大宮バイパス)は立体構造になっていて、中々横断する場所が見付からない。途中で陸橋型の横断通路があったのだけれど、もう少し北に行けば普通の横断歩道があるだろと、 ...

赤塚氷川神社は台地の上の一際高い丘の上に鎮座している。一の鳥居から本殿までの間に長い、500m程はあるだろう銀杏並木の参道があるが、とても平たく真っ直ぐだ。だが参道の左右は下り坂になっている。丁度参道を含めて境内全体が馬の背状の地形の上にあるのが判る。千葉自 ...

最後は後北条氏に纏められた関東の地だが(その後秀吉の小田原征伐がある)、室町時代から戦国時代にかけての関東の主役達は以下となる。●関東公方○鎌倉公方(鎌倉御所) 1349年 - 1455年室町幕府が関東十ヶ国を統治するために設置した鎌倉府の長官。十ヶ国とは相模・武蔵 ...

●坂だらけの街台地の上を移動する。東武東上線を跨線橋で跨ぎ、北側に移動した。引込線が本線より高い場所にある。不思議な風景だ。線路の北側に移動したら、一筋縄では行かない地形だ。台地の中に窪地があるし、坂を上ったと思ったら、すぐ下りになるし、下っていたと思っ ...

武蔵野台地北端の崖線巡りは都内だけに限定して、埼玉県にまで入り込む積りはないのだが、都内だけでも北端の舌状台地はとても広範囲に横たわっている。崖線は直線ではなく、入江や岬のような襞を作って東西に大きく広がっている。その崖線の上下を繋ぐ坂を上ったり下ったり ...

●取舵一杯武蔵野台地の東端の最北部を訪れた後は、大きく向きを変えて南西方向に進む。崖線はずっと左手に続いている。諏訪神社の脇から、ずっと崖線に寄り添うように平坦な道が続いている。左手の崖上に向かう階段坂。特に名前はないようだ。殿山坂(長さ70m、高低差4m) ...

●東端の北端いよいよ武蔵野台地東端の最北部に来た。うつり坂(長さ310m、高低差13m)標識の説明は以下の通りだ。坂は歴史を語る。「赤羽台東小学校の北にあるこの坂は、旧板橋街道の坂道の一つです。大正八年(一九一九)に旧陸軍被服本廠が赤羽に移転すると、被服本廠通 ...

●弁天通の谷岬を一つ越えるとまた入江がある。僕は電チャリに跨っている筈なのだが、気分は沿岸航海の船乗りだ。中坂(長さ180m、高低差10m)一度坂上まで行ってみたが、何もなさそうなので戻って来た。途中でパトカーの中のお巡りさんと目が合ってしまった。もう少し北に ...

●崖線が続く"名主の滝公園”を出て、崖線沿いを北上する。武蔵野台地の北端部分の東端を進んでいる。地図を見ると、崖線上に幾つかの坂が並んではいるが、何となく退屈な感じの地形だ。明治通りの南大橋の高架下を通過する。改めて崖線の存在を意識する。”芝坂”という坂 ...

武蔵野台地東端の舌状台地をポタリングで一通り訪れた。残したのは上野台地ぐらいだと思っていたが、地図を見直すと小日向台地・小石川台地・白山台地等訪れていない場所も結構多いことに気が付いた。これらの台地の坂は改めて訪れるとして、金曜日の晩に地図で見付けた武蔵 ...

色々有った長い一週間だった。今日は面接官に駆り出され、朝から夕方まで缶詰状態だった。タフだったが若い人達と話すのは楽しい。とても勉強になった。日暮れにモンキー・ショルダーを開けた。ウィリアム・グラント&サンズの3つの蒸留所のモルトウイスキーをブレンドしたブ ...

●島津山すぐに島津山の根方に到着した。島津山は南北350m、東西200m程の高台だ。着物の振袖のような形をしているので袖ケ崎とも呼ばれる。台地の東側に北に向かって上る長い坂がある。上り切って振り返った。坂の途中には清泉女子大学の正門があった。上り切った場所から東 ...

●旧東海道沿い少しだけ昔話をする。高校生の時にバイク免許を取得して、すぐに原付バイクを購入した。2ストロークエンジンのスズキのハスラーTS50だ。メーカー間の仕様競争があったのか、原付の癖に6馬力もあった。嬉しくて毎日乗り回した。道交法上、交差点の右折等の不都 ...

●泉岳寺魚籃坂が終わり、伊皿子坂(いさらござか)が始まる伊皿子交差点の西側に、高輪皇族邸がある。以前は高松宮邸だった。その後、暫く無人の儘宮内庁の管理下にあったが、赤坂御所が仙洞御所に改修されるまでの間、上皇・上皇后の仮御所として使用されている。仮御所の ...

●月の岬都道305号線から国道一号線 桜田通りに入った。魚籃坂下に到着した。魚籃坂(長さ260m、高低差12m)脇の坂に名前があるのかどうか分からない。この坂は魚籃坂の坂上まで並行している。昭和44年頃の魚籃坂。52年前の写真だ。魚籃坂上魚籃坂上の伊皿子(いさらご)交 ...

●白金の坂まずは日東坂を上る。日東坂(長さ150m)は国立自然教育園の北側にある住宅地の中の坂道だ。百回とは言わないが、国立自然教育園の前を数え切れない程通っている。でも一度も入園したことがない。いつか孫を出しに使って入園してみたい。日東坂を上り切ると、「BI ...

この3ヵ月間程で、目白台地から始まって四谷・麹町町台地まで、武蔵野台地の東端の舌状台地群をポタリングして来た。それぞれの台地を取り囲む坂の全部を訪れたわけではないが、めぼしい坂は回って来れたと思っている。(引退して時間が出来たら、もっと丁寧に各台地の坂巡 ...

東京大神宮から早稲田通りを横切って、外濠脇の東京逓信病院前まで移動する。外濠を見下ろす。今はビルが建ち並んでしまっているが、昔は見晴らしの良い場所だっただろうなと思って振り向くと与謝野鉄幹・晶子の住居跡の碑が建っていた。お二人は良い場所に住まれていたよう ...

●富久町西交差点今日は四谷・麹町台地の坂巡りの仕上げで、九段方面に出向いたのだけれど、その前に富久町に訪れていなかった坂があったので、往路に立ち寄った。富久町交差点と富久町西交差点を間違えた為に、茗荷坂がどうしても見付からなかったのだ。今日は簡単に見付け ...

・局沢川という川があった麹町台地で甲州街道より南にあるめぼしい坂は、中坂・貝坂・諏訪坂・いちょう坂・清水谷坂・紀尾井坂だけれど、見慣れた坂なのでスキップすることにした。半蔵門を右手に見ながら、甲州街道の北側に移動する。麹町1丁目の角を右折する。永井坂(長 ...

ポタリングの対象場所が、漸く四谷台地から麹町台地に移った。●先ず隗より始めよ僕の事務所は確かに赤坂見附駅の近くにあるのだが、考えてみれば住所は永田町で、事務所は麹町台地の南端近くに根方にある。(麹町台地の本当の南端は首相公邸の建つ丘だ。)先ず隗より始めよ ...

●外苑東通り北側に回り残した坂があった。新五段坂(長さ115m、高低差12m)を北に向かって上がる。右手は防衛省だ。外苑東通りの西側に渡る。女子医大通りをやり過ごして、最初の路地に入る。児玉坂(長さ45m)かつて陸軍大将 児玉源太郎の邸宅が付近にあった。薬王寺坂( ...

●曙橋界隈靖国通り沿いに東に戻ると、やがて曙橋と合羽坂が見えて来る。曙橋は靖国通りの上を外苑東通りが跨ぐ為に跨道橋だ。開通したのは1957年で、この橋の完成により四谷・牛込間の往来は非常に円滑となった。Wikiで曙橋のことを調べていたら、次の説明文で少し固まった ...

●市谷崖線を辿る外堀通り沿いに南西に進む。庾嶺坂(ゆれいざか)、長さ120m、高低差9m。江戸初期、この坂の辺りが美しい梅林であったため、二代将軍秀忠が中国江西省の梅の名所大庾嶺に因み命名したと伝えられる。この坂の上に神楽坂若宮八幡神社がある。逢坂(おうさか) ...

大久保通りで四谷台地の東端まで移動した後、坂巡りを始めた。僕が勝手に設けた境界線では、筑土八幡神社は四谷台地側ではなく、牛込台地側だけれど、近辺の地名の元にもなっている神社でもあるので、参詣することにした。これは電チャリでは上れない。女坂は存在しないよう ...

牛込とはどこか?牛込は東京都新宿区の一地域で、かつての東京市牛込区の範囲を指す。神楽坂や市谷および早稲田が牛込地域に該当する。では、牛込台地はどこからどこまでか?四谷台地との境界線はどこか?と訊かれると答は少し難しい。牛込台地も四谷台地も、武蔵野台地の東 ...

●荒木町の窪地”摂津守”の正しい読み方は”せっつのかみ”ではなく”つのかみ”だ。新宿通りの北側に移動して津之守坂に入る。津之守坂は”つのかみざか”と読む。この坂の西側の荒木町一帯は、江戸時代には美濃国高須藩 松平摂津守の上屋敷だった。”摂津守”は”つのか ...

四谷台地と麹町台地の間には、外濠があるので明確に境界が判る。一方で四谷台地と赤坂台地の境界は曖昧だ。四谷・赤坂台地とグルーピングせず、四谷・麹町台地とか赤坂・麻布台地とグルーピングするんだろう。と言う素朴な疑問はある。まあ台地は以前から存在して、後から人 ...

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