路上日記 SEASON IV

KAWASAKI NINJA1000とE250 STATION WAGONで過ごす週末をおやじが綴る日記です。 過ぎ去って行く季節に打ち寄せる月日に、そして愛すべき戦士と僧侶と画家たちにこの物語を捧げます。

2022年10月

朝10時位までは家の中が騒がしかった(もとえ賑やかだった)のだが、かみさんは仕事、息子家族は車で出掛けた。一人になった。留守番をする必要もない。陽気が良いので電チャリで出掛けることにした。リュックに小物釣り仕掛けと仕舞寸法30cmの小物用釣り竿を突っ込む。和田 ...

久々に雲呑麺を作った。何も考えなくても手が動く。 ...

久々に豚の角煮を作ることにした。もう手慣れているのでサクサク下準備を進める。下準備は満足の行くものだったのだけれど、一点だけ気になることがあった。スーパーに行ったら、絹厚揚げしか置いてなかった。もっちり食感で焼いたら美味いと包装に書いてあったのだけれど、 ...

8月16日に長距離ツーリングから戻って来てから、NINJAのエンジンを掛けていない。5月に買い替えたばかりとは言え、そろそろバッテリーが心配になって来た。今月末に定例ツーリングがあるのだが、野暮用があり参加出来ない。今度走る機会があるのは11月の中旬過ぎだ。段々気 ...

”真田の赤備え”は弟 信繁(幸村)が大坂の陣で用いて有名になったが、「いつものことくあか武者たるへく、指物はあかね」と信之の武者揃えも赤備えだった。信之の血脈は松代の地で続いて行く。信之は晩年は病気がちであり、しばしば隠居願を幕府に出していたが、その都度 ...

1622年10月になった。真田信之は上田から松代へと出発する。信之は既に57歳になっていた。松代への道中、秋空を見上げながら信之は何を想ったか。上田合戦、関ヶ原の戦い、大坂夏の陣は遠い昔の出来事のようでもあり、つい昨日の出来事のような気もする。真田家の上田・沼田 ...

かみさんは水曜日から治療院の仕事があるので、火曜日中に東京に戻らなければならない。小淵沢駅まで送ってくれたらいいと3回も言うので、一緒に車で東京に戻ることにした。まだ午前中だ。寄り道しながら東京に帰ることにした。天気は余り良くないし、気温も低い。寄り道先 ...

上田城の駐車場に車を停めた。六文銭を追いかける旅の中で、何か新しい発見を期待したわけではない。真田幸綱(幸隆)から昌幸、信之・幸村兄弟へと続く血脈を考える上で、やはり訪問して置かなければならないと思っただけだ。1583年の築城から1874年の廃城までの290余年の内 ...

天気予報の通り、今日は朝から肌寒い。こんな日は山荘の中で薪をがんがん焚いて引き籠っていたいのだが、東京から観光目的で光臨されたかみさんは元気いっぱいだ。午前中は大人しく山荘のメンテナンスの手伝いをしてくれていたのだが、ファサードや駐車場の屋根の落葉落とし ...

真田家の始祖、真田幸綱(幸隆)は、海野平合戦で一度所領を失うが、信濃に侵攻した武田晴信(信玄)に仕えて旧領である真田本城(松尾城)近辺にしっかりと根を下ろす。現在の長野県小県郡真田町の辺りだ。以後、真田の庄が本貫となる。真田幸綱(幸隆) --- 真田信綱    ...

昨日の夕方に、一泊二日の小さな旅から戻った。山荘に着いた時に帰って来たと思った自分の感覚に驚いた。自宅は東京にある筈だ。二日間、それぞれ二万歩以上歩いたので心地良い疲れがあり、ウイスキーを飲んで直ぐに寝てしまった。夜中に目が覚めて、今朝かみさんがあずさ1 ...

ずっと同じ兜と鎧ではなかったと思うが、ある時の三人の鎧と兜。真田昌幸真田信之(信幸)真田信繁(幸村) ...

真田信之(信幸)が松代に入部してちょうど400年が経つ。1622年(元和8年)江戸幕府により、真田信之は真田の本拠地である真田・上田・沼田から松代へ加増移封された。天下分け目の戦いの際に、父親の真田昌幸と弟の真田信繁(幸村)は豊臣方に附いたが、真田信之(信幸)は ...

上田市内から車で数十分の距離にある角間渓谷を早朝に訪れてみた。道の脇に岩谷観音の案内板があり、長い階段が崖の上に延びていた。登り切ったら正面に祠があった。険しいお顔の観音さまが座っておられる。と思ったら、観音さまは向こうの観音堂の中だった。階段上の祠で睨 ...

山荘を離れて、松代、小布施、上田と旅をしている。昨日、小布施町でりんご畑に見惚れた。小布施町は栗の里として知られているが、りんごの里でもある。 ...

松代の町を散歩していたら、大きな幟に惹かれた。入店した後メニューを見た。”溜まりBLACK”か”中華そば”かで迷ったが、やっぱり店頭の幟にある”溜まりBLACK”を注文した。フォトジェニックな一杯が着丼した。スープは後味に甘味がある。とても美味しいラーメンだった。 ...

やっている時は必死でも、後からとんでもない無駄だったと気が付くことってある。終戦間近の9ヵ月間に突貫工事で大本営象山地下壕が造られたが、使われることはなかった。追記相当な距離を歩いたつもりだったが、僕が歩いたのは全体のほんの一部だったようだ。地下壕の総延 ...

僕はビールが好きだが余り量は飲まない。美味しいビールを数杯飲んだら、ウイスキーに切り換える。だが僕の回りにはたくさんの”ビール飲み人形”が居る。家族の中にも居るし、友人の中にも居る。彼らが山荘に遊びに来てくれる時に困ることがある。冷蔵庫がとても小さいのだ ...

手元に大量の薪が届いて嬉しくなったのか、気が大きくなったのか、薪ストーブに火を入れた。薪はいくらでもある。室温も湿度もベストな状態で、僕はTシャツで動き回っている。去年は10月25日に薪ストーブを使い出した。2016年から今年までの間で、薪ストーブを使い始めた日 ...

お願いしていた薪が軽トラに山積みでやって来た。汗をかきながら一人で薪置場に積上げた。今年の冬は寒くなりそうだが、これで来年の春までまったく心配はない。 ...

また白州に来た。西にある駒ヶ岳には雲が掛かっているが、北にある八ヶ岳はくっきり見える。里も秋の貌だ。山荘への道の両側も色付き始めている。裏庭の林も黄色くなって来た。今年はとてもどんぐりの実りが多い。ウッドデッキの掃除をすると落葉の間にたくさんのどんぐりが ...

オタク話で恐縮なのだが、米国のクラフトブルワリーの先駆けの一社であるKarl Straussの商標がちょっと気になっている。Kaerl Strauss Brewing Companyは、1989年にサンディエゴに最初に出来たマイクロブルワリーだ。Kaerl Strauss の商標の話の前に、少し米国のマイクロブ ...

我が家は圧倒的に夏生まれが多い。7月から9月にお誕生日会が立て続くので、10月の息子の誕生日には、皆もう誕生日会の準備に飽きて疲れて来る。(孫達だけはケーキさえあれば、オールウェイズご機嫌ではある。)息子の誕生日が来た。ばあばは日中仕事があるし、息子は友人の ...

そろそろ代々木公園も秋の気配。 ...

中野ブロードウェイの入口近く、ふれあいロードからちょっと西側の横丁に入ると、この近辺で最もディープな感じの路地裏に辿り着く。他の場所は雑然とはしているが、一応東西と南北に碁盤の目のようになっていて、そこに小さな飲食店が軒を並べているのだけれど、この中野新 ...

まぐろ丼を食べる為に三崎漁港に向かっていたのだけれど、景色を楽しむ為にあちこち寄り道している間に途中で昼時になってしまった。だいこん畑を越えて間口漁港に立ち寄り、その後松輪漁港を訪れた。風景を眺めていたら、この港に以前来たことを思い出した。ここから乗船し ...

朝8時には真鶴の部屋を出た。小雨が降っている。天気は悪いがまっすぐ家に帰るには早過ぎる。国道135号線は空いていた。すぐに石橋ICに辿り着く。分岐を小田原厚木道路ではなく、西湘バイパスの方にハンドルを切った。西湘バイパスを大磯町で下りた頃には、雨は止んでいた。 ...

外食も自炊も面倒な時には、駅前の「KENNY PIZA」でピザをテイクアウトする。かみさんがケーキを食べたくなった時には、「小田原百貨店」の正面にあるケーキ屋に立ち寄る。朝食に魚が食べたい時には、「森下魚店」で購入する。 ...

福浦ハーフインターチェンジの入口近くにHUMANS BEERと言うクラフトビールの醸造所がある。去年の11月に設備を入れて、今年は本格稼働している。カナダ人のGARY父さんと、その家族の5人でアメリカンIPAを中心に造っている。マグナムや、モザイク、シトラ、アマリロと自由自 ...

岬の喫茶店と言えば、房総の明鐘岬の「岬」を思い出す。女性が一人で切り回している小さな店だ。岬という場所で女性が一人で働いていること自体色々なことを考えてしまうのだけれど、まあ余計なことは考えずに珈琲を味わせて貰った。かみさんと真鶴で過ごしている。久々の二 ...

真鶴半島の南端、後は崖を降りて三ツ石に行くしかない場所に、ケープ真鶴と言う施設がある。昭和を引き摺ったような建物で、中に土産屋と食堂がある。町立貝類博物館なんかも運営されているのだけれど、土産屋の貝細工売場タッグを組んでいる感じだ。ここの食堂は美食広場と ...

真鶴半島は凹凸が激しく平らな場所を見付けるのが難しい。まとまった平地があるのは漁港の周辺位だ。丘の上や坂道の脇に家を建てる際には、大掛かりな整地が必要になる。半島内の離れた場所まで散歩する時には、一度平たい漁港近辺まで坂を下りて、また坂を上がるのが自然だ ...

土曜日の晩、駅までかみさんを迎えに行って、港脇の「海女家」で月見をしながら晩飯を食べた。車だったので「僕ビール、君ビール」と言うわけにはいかなかった。部屋に戻ってウイスキーを飲んだが、もう月は見えなかった。 ...

以前訪れた内袋の真鶴水族館跡のプールが気になり、釣行してみることにした。竜宮城の跡だ。景色もいいし海もきれいなのだが、釣れるのはネンブツダイとベラばかりだった。真鶴漁港に転戦することにする。 ...

真鶴港に下る最後の坂の手前で、右手の路地に入ると「伊藤商店」がある。タレントのデビット伊東さんが経営するラーメン店だ。話の種にと入店して見たのだが、デビット伊東さんがオーナー店主としてしっかり厨房の中に居た。貌つきはラーメン職人のそれだ。副業というよりは ...

二ヵ月振りに真鶴に来た。朝のルーティーンは決まっている。小田原厚木道路の平塚PAで野菜を買って、小田原PAでうどんを啜る。真鶴PAで三ツ石を眺める。半島に入った後、タブの木の森を眺める。 ...

近所の公園脇に公孫樹並木がある。昨日電チャリで通り掛かった時に、ちょっと人目が気になったけれど、数十個程銀杏を拾った。果肉を向く時は、臭いとの戦いだった。新鮮な銀杏は黄色ではなく翡翠色。食べ過ぎに注意、1日10個が限度だ。 ...

ここのところある課題に取り組んでいて、朝4時には起きて机に向かっている。息抜きの為に今日も昼食は外に出掛けた。また中野の北口の飲食店街に行くことにした。”Transforming”という文字を掲げたラーメン店を見付けた。店名は「ただいま、変身中」だそうだ。孫の玩具の ...

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